Lost Illusion Ⅱ

野崎六助映画ブログ 15年遅れの映画日誌

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It was Fascination I know

 最近もっぱらのヒマつぶしは Lime Wire での懐メロ・ダウンロード。 Cabos も併用しているが、頻度は五対一くらいで Lime Wire だな。
 大当たりは『スカーフェイス』の「ジーナとエルヴィラのテーマ」。聴きすぎてテープがフン伸びてしまった曲。こういう形でもういちど聴けるとは……やはり、感動ものだ。サントラ盤の他の何曲かも、一回の検索で出てきた。五秒に一回の割りで速射する FUCK の科白シーンもオマケについてきた。オマケといえば、「トニー・モンタナ・アルティメイト」。なんだ、こりゃ。聴いてみたら、スカーフェイス2PAC その他をフィーチャーしたラップではないか。アル・パチーノの当たり役キューバ・ギャングにギャングスタ・ラッパーがリスペクトを捧げている。ゆっくりとは聴いていないが、悪くはない。

 Lime Wire のきっかけは大したことじゃなくて。
 バリー・マクガイアの「イヴ・オブ・ディストラクション」をインターネットラジオで聴いたこと。あまりの懐かしさに何とやら、で。さっそく、オンエア中のデータを録音保存するソフトをインストールしたんだが。うまく待ち構えている時にそれが流れてくるわけはない。かといって、いちんちじゅう待機していられれば立派だけど……。インターネットラジオも同じチャンネルに合わせていると曲のチョイスのパターンも一定しているのがわかって、飽きてくる。ストーンズクリーデンスザ・ボス。なんてところで。気づいたことの一つは、インターネットラジオの音源とは必ずデジタル・データ化されてるんだろうってこと。
 それなら、元データを捜してみるほうが早道だ。
 で、少し前に遭遇して、これも、あまりの懐かしさにヒーヒーきた「ライフルと愛馬」を検索してみた。 Lime Wire で。するとあっさりゲットできたのだ。ディーン・マーティンリッキー・ネルソンがデュエットしている映画『リオ・ブラボー』の一シーンからのサントラ・ヴァージョンが。これは、リッキー・ネルソンのベスト・アルバムに収録されているんだと思う。

 その他の主な収穫。
 「ライダース・イン・ザ・スカイ」が八種。マーティー・ロビンスジョニー・キャッシュウィリー・ネルソンジーン・ピットニーまであった。初めて聴くものもあり、いちばん気に入ったのは、フランキー・レインだった。しかしお目当てのパール・アイヴスは見つからず。
 「グッドナイト・アイリーン」が三種。レッドべリ、レッドベリ&ウッディ・ガスリー&ピート・シーガー、ウィリー・ネルソン&エミルー・ハリスと。凄いな。レッドベリを熱心に集めていればアナログ盤か CD が手元にあっても当然なんだろうが、そのあたりは気まぐれすぎて。
 あとは、『アラモ』のサントラ盤「グリーンリーヴズ・オブ・サマー」。

 捜せなかったもの。
 『シェーン』の「遥かなる山の呼び声」。子供のころ、一度か二度聴いただけのおぼろな記憶しかなくて。だいいち歌手がだれかもわからない。
 「片眼のジャックのバラード」。これはよく聴いた曲だが、歌手名は忘れてしまった。記憶では、映画の中では使われず、独立した歌みたいなものだった。映画はいま、ヤフーの無料動画サイトで観ることができるけど、あのもたもたした駄作を二度観る物好きさはないし。
 「モリー・ダーリン」。これも歌手がわからず。エディ・アーノルドの歌なら視聴もできるんだが、この人のではない。この人のでないことだけが確かなのだ。ウェスタン・ヨーデルといった歌い方だった。大昔のラジオでよく聴いた、ということしか憶えていない。
 ジュリアス・ラ・ローザの「グリーン・フィールズ」。これは記憶の蜘蛛の巣を取り払ってやっと思い出した固有名詞。愚かにもメキシコ人と勘違いしていたが、調べてみると、イタリア系の演歌シンガーだった。45回転のドーナツ盤がなにかのオークションに出ていた。むかし持っていたものを買い戻す? そこまでの熱情はとても湧かなかった。
 イリノイ・スピード・エクスプレス。これは70年ごろに LP も出ていたロック・グループなんだが。もしかすると正確に思い出せていないのかも。

 ともかく。
 夢中になって(?)いるうちに、HP の更新をトバしてしまったお粗末。
  1. 2007/06/01(金) 08:50:37|
  2. 日記

私は偶像破壊者だ

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 パレスチナ・キャラバン連続プレ企画を見物してきた。正直なところ、何の表現発信なのか、よく確認しないで出かけたのだが。
 まさか、マフムード・ダルウィーシュ本人が現われるってことはないよな。やっぱり。
 ダルウィーシュ詩のアラビア語朗読を聴けたのは収穫だった。
 七〇年代の詩「パレスチナの恋人」はまだ空で覚えている部分もあるが、今回、朗読された長編詩『壁に描く』は最近のもの。青春の詩人は、死を見つめ、ことさら生硬な語句まで駆使する「成熟」を遂げていた。けれども豊饒な愛とナルシズムのダルウィーシュ世界は、幾重もの屈折を経ながらも堂々と健在だった。
  だがまず私が知っているのは
  私が青春の花であり 騎士の中の騎士だということだ

 詩の朗読をコラボレーション構成の形で聴くのは二度目だ。
 一人目は金時鐘〈キム・シジョン〉だった。
 当日、ゲスト・スピーカーになった足立正生の口から詩人の実像がおよそナマな言葉で聞けたことも収穫だった。「ものすごい女好きだよ」 さもあらん。
 そうでなければ、陽光まぶしい求愛のバラード君のハンカチと両足と肉体は パレスチナの乙女のものがそのまま祖国への渇望する愛に重なり、その詩句が山上の垂訓のように民衆にしみわたっていくことなどありえないではないか。

  1. 2007/03/03(土) 12:03:42|
  2. 日記

新訳『闇の奥』

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 ようやく藤永茂訳の『闇の奥』を読んだ。
 正直なところ、コンラッドは何度も読み返して有り難がるほどの大作家ではない。と感じたのが一点。
 もう一点は、申しわけないけれど、とくに『闇の奥』は「誤訳」でちょうどいいという感想。
 既訳がブリュッセルをパリと間違えていたこととか、教えられることは多かった。
 だが、正確な翻訳が出てくることは望ましい――と書いても、どことなく社交辞令になるみたいだ。そういう想いを消せない。
 コンラッドは曖昧朦朧としていたほうがいい。
 結局のところ、現代の読み手はそこに自分の都合のいい肖像しか見つけようとしないだろう。ポストコロニアルの視点が一般化するほど、その傾向は強くなるのではないか。苦悶する反帝国主義者という像を見たい者にはその証拠となる一節が(少しくらいは)あるだろうし。
 また投機的な植民地主義者として告発するという姿勢は、西欧の眼の下にある「世界文学市場」にあっては常に周辺ペリフェリーに追いやられるに違いない。藤永がくりかえし書いている「ヨーロッパ・マインド」という言葉は「ヨーロッパの病」としたほうが適切だと思うが、それは同時に「日本人の病」をも意味するだろう。おおかたの日本人には受け容れがたい思考だ。
 新解釈が出てこないのは、やはり作品そのもののキャパシテイによっている。『闇の奥』は話題に取り上げやすくはあっても、それ自体としては豊かなテキストではない。hollow men という像にしても、フォークナーの『アブサロム、アブサロム』に出会ってしまった後では、今さらコンラッドの気まぐれな書きっぱなしをほじくっても得るところは少ない。
  1. 2007/02/13(火) 09:32:50|
  2. 日記
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